島根旅行(3) 世界遺産・石見銀山を歩く その1


島根の旅のラストはやっぱり外せない!石見銀山まで足を伸ばしました。
2007年に「石見銀山遺跡とその文化的景観」として
世界遺産に登録されたことは記憶に新しいですね。


戦国時代後期から江戸時代前期にかけて
栄えた日本最大の銀山で、なんと当時は
世界の銀の3割がこの石見銀山から産出されたものだったそうです。


まず、石見探訪のスタートは羅漢寺の「五百羅漢」参拝から。

ここには、当時銀山で働いて亡くなった人々や
先祖の供養のために作られた羅漢坐像が祀られています。
二十年以上をかけて作られたというその羅漢さんたちは
笑っていたり、泣いていたり、怒っていたり、
寝ていたり、説法をしていたり、空を仰いでいたりと
様々な表情で、私たちを迎えてくれます。


もちろん、祠の中は撮影禁止ですので、
参考はこちらの公式サイトで。
http://www.rakanji.jp/gohyakurakan/index.html


参拝も終わり、いざ入山。
まずは、銀山の柵内をじっくり歩きながら、
かつて栄えた産業遺産の跡をめぐります。


清水谷製錬所跡

こちらは銀山の中でも一番新しく、明治時代の遺構です。
明治26年から藤田組(現DOWAホールディングスの前身)が
巨額を投じて建設した製錬所です。
谷の斜面を利用して何段もの石垣が築かれています。


清水谷製錬所の遺構

各段には採掘場が設けられ、鉱石を降ろしながら製錬が行われたようです。
しかし、鉱石の品質が予測よりも悪く、また製錬能力も
十分でなかったことから不採算となり、
わずか1年半で操業中止となりました。


今まで観てきた世界遺産といえば寺社仏閣でしたが、
やっぱり産業遺産はまた歴史も趣も違います。


清水谷製錬所跡を過ぎ、さらに奥へとすすみます。
至るところに見えるのは「間歩(まぶ)」の跡。
間歩とは坑道のことで、石見銀山ではこう呼ばれていたそうです。
空気抜き用や水抜き用などを合わせると、
なんと500箇所を超える間歩が存在しているそうです!


そして、目指していた「龍源寺間歩」へ着きました!

龍源寺間歩は、正徳5(1715)年に開発された代官所直営の間歩で、
当時の長さは約600mに及んでいたそうです。
こちらが閉山したのは昭和18年とのことですので、
なんと約230年間も現役だった間歩なのです。


中に入るととても涼しく、天然の冷蔵庫のよう

一般に公開されているのは273mで、
至るところに当時のノミで山を削った跡がそのまま残っています。
排水のために垂直に掘り上げた穴や
鉱脈に沿って掘り進んだ跡なども見られ、
産業遺産の奥の深さに感動しました。
また、間歩の最後には「石見銀山絵巻」があり、
当時の掘り子たちの様子が描かれており、
これもまた興味深いものでした。


いやぁ〜、龍源寺間歩。
素晴らしい史跡でした!


では、石見銀山後半戦の大森地区はまた後日・・・


後半の「大森エリア探訪」はコチラ


■龍源寺間歩
島根県大田市大森町ニ−183
0854-89-0117

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