橋本遊廓跡を歩く'08秋 その1

2年ぶりに橋本に行ってきました。
※2年前のダイアリーはコチラ


しかも、今回は橋本在住のマイミクさんに
橋本の街をじ〜っくりご案内いただきながら!
正直、ここまで深い遊廓跡歩きができたのは初めてでした。


前回もそうでしたが、この街を歩いて一番感じるのは
「圧倒的な建物の美しさ」。
五番町や撞木町と比べても、元廓の建物が多く残っていて、
格子や欄間、玄関のタイル細工など、
独特の世界観を垣間見ることが出来るのです。


橋本駅を降りたところにあるお宅。

反対側から。

格子の上にある電灯まで、当時のままです。


それぞれのお宅の玄関や窓周りの意匠を見ていると
「当時は職人が腕を競い合ったんやろうなぁ」と実感。


松竹梅になっていますね。

こちらは鯉ですね。

当時は美しい紅殻だったのでしょう。

丸い窓です。

格子・欄間・豆タイル。素敵な玄関です。

「榮楼」の防火用水


そして鐘馗さん

どうも鬼を踏みつけているようです!
こちらはえびすさんでしょうか。

京都市内の旧遊廓にも必ず鐘馗さんはいますね。
このように屋根の上を見ているだけでもワクワクします。



ここで少しその歴史をご紹介。
橋本は伏見と大阪を結ぶ宿場のひとつで、
さらに対岸の山崎との渡しの船着場もあったそうです。


交通の要所であるが故に江戸の頃から料理旅館が存在していたのですが、
公娼制度が成立した後は大阪から
数多くの業者が舞い込み、遊廓を開業したそうです。
しかし、昭和33年の売春防止法の完全施行を機に、
赤線の灯を落とした後は旅館やアパートなどに
転業されることになる訳ですね。


昭和33年以前の橋本をよく知る
マイミクさんのお母さんにはいろいろお話を伺うことができました。
最盛期には80件もの廓が立ち並び、
京阪の橋本駅からは多くの男性が押し寄せ、
あの界隈はすれ違うときに肩が触れ合うくらいの賑わいだったとか。


今では本当に静かな街ですが、
やはりその当時は、街道随一の歓楽街だったのですね!


そして今は橋本駅前の飲食店は「やをりき」さん1軒しかありませんが、
やをりきさんの女将さん曰く、
その当時は30軒ほどの飲食店があったそうです。


やをりき

『赤線跡を歩く』にも登場していますね。

昭和初期にはあったという店内はとてもレトロ。

以前、2階はカフェーだったそうです。

こちらの横側には「本家津田」の防火用水


盛り上がりの最盛期の橋本駅界隈、見てみたかったなぁ。


橋本駅の向こう側には「検番跡」が。


ここがこの街を見守っていたのですね。


さて、今日はここまで。
実はマイミクさんにご紹介いただいて
「旧遊廓内部」を撮影させていただいたのですが、
そのレポートについてはまた後日・・・!